山梨県大月市にある、国の名勝 “猿橋” に行ってきました。
“猿橋” は、高さが約30mもある “桂川渓谷” の高所に架けられた、
現存する唯一の “刎橋 ( はねばし )” で、その美しさと周囲の風光明媚さから、
“日本三奇橋” ( 山口:岩国の錦帯橋、長野:木曽の棧 ) の1つに数えられています。
この橋の特徴は、( 高さ30mの所にあって橋脚が使えないため、)
両岸から張り出した四層の刎木 ( はねぎ ) で橋を支える建築技法にあります。
( この技法で架けた橋のを “刎橋 ( はねばし )” という。)
この技法自体は珍しくなく、かつて刎橋はいくつもあったのですが、“猿橋” は、
刎木を雨から守る屋根が付いていたり、周囲の景観が素晴らしいということで、
安藤広重の「甲陽猿橋之図」や、十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」に
描かれるなど、古くから世に名を馳せていました。
“猿橋” が架けられた時期は明らかではありませんが、その歴史はかなり古く、
推古天皇の頃 ( 612年 ) に百済から来た 志羅呼 が架けたという伝説もあります。
( ただし、これはあくまで “伝説” で、真偽の程は定かではない。)
史実では、室町時代の文明18年 ( 1486年 ) に “猿橋” の記述が見られるので、
その頃には、確実に “猿橋” が存在していたとされています。
その後、戦国時代になると、“猿橋” は甲斐・武田氏の軍事拠点の一つとなり、
次いで江戸時代になると、甲州街道の宿場町として大いに栄えるなど、
その存在は常に、歴史の中で重要な役割を果たしていました。
なお、“猿橋” は、これまで何度も架け替えられており、
現在の “猿橋” は、1984年 ( 昭和59年 ) に架け替えられた復元橋です。
( 嘉永4年の資料を基に復元。 ただし、構造は木製から鉄骨製に変わっています。)
僕が “猿橋” という存在を知ったのは、つい最近のことでした。
このコーナーで 錦帯橋のレポート を書いた際に “日本三奇橋” なる言葉を知って、
それで調べたのがきっかけです。
ということで、この “猿橋” を訪問したのは今回が初めてだったのですが、
行ってみた感想としては、
「もう、本当に感動しました!」
っていう感じではなくて、なんかこう、じわじわ~と、
「ほうほう、これは・・・ なかなか趣があるなぁ。」
っていう感じでした。
観光向けの派手さはなく、錦帯橋のように大きくもない。
でも、決して普通の橋じゃない。
そんな感じです。
なので、
「趣? なにそれ、美味しいの?」
という方が訪問したら、全くつまらないと思います。( 笑 )
ただ、風景に関しては、( 紅葉の時期だったということもあるかもしれませんが )
さすがに名勝と言うだけあって、本当に素晴らしかったです。
どんな感じだったかというと、こんな感じ ( 甲斐 猿橋からの眺め ) でした。
なので、美しい風景を観たい方や “趣” の分かる方 ( 笑 ) なら、
“猿橋” を十分楽しむことができると思います。
その他、桂川で鮎釣りができたり、郷土資料館で文化に触れたり、
アジサイが綺麗な遊歩道を散策できたりと、見所はいくつかあるので、
興味を持った方は、是非一度、“猿橋” を訪問してみてください。