今回の企画 「江戸歴史散策2」 も、いよいよ大詰めとなりました。
残る散策ポイントは 2ヵ所 のみ。
ちょっと足が痛くなってきてますが、
あと一息なので、頑張りたいと思います。
「山伏井戸」 から 「浜町公園」
「浜町公園」 から 「明治座」
を通過して、再び人形町方面にやってきました。
「蛎殻銀座跡」と、
2010年1月の企画「東京七福神巡り2」の際に訪問した
親子丼の元祖「玉ひで」さん ( この日は定休日でした )
を横目に、そのまま人形町通りを南下、
さらに、2010年1月の企画「東京七福神巡り2」の際に訪問した
創業1917年 人形焼きの老舗「重盛永信堂」さんを通過、
戌の日の安産祈願で行列ができてる
「日本橋七福神・水天宮 ( 弁財天 )」の横を通り
到着したこの辺り
が、
第15散策ポイント 「小野治郎右衛門 -おのじろうえもん-」
歩数 「19835」 時間 「13:52」
です。
「小野治郎右衛門」は、
小野派一刀流の小野家の屋敷。
2代将軍秀忠の時、小野派は柳生新陰流と並んで徳川家兵法指南役となる。
現代剣道の防具・竹刀の原型は小野派の支流中西派から生まれた。
ということで、散策マップに指定されているのですが…
まあ、よくわかりません。( 笑 )
「柳生新陰流」っていうのは、よく聞きますけどね。
さて、いよいよ最後になりました。
最後の散策ポイントは「堀田備中守」です。
下総佐倉藩の上屋敷。幕末の藩主正睦は老中首座としてハリスと日米修好通商条約を協議したが朝廷工作に失敗、水野忠邦の大老就任により蟄居させられた。
堀田正睦というと、歴史教科書にもよく出てくる人ですね。
幕末期の主要人物の一人だと思います。
それでは早速、堀田正睦のお宅を訪問しましょう。
小野治郎右衛門の屋敷跡付近から、少し東に移動します。
そしたら…
なんか、テレビドラマのロケやってました。
「江戸東京散歩」の地図的には、ちょうどロケやってる付近が
「堀田備中守」の屋敷跡に当たるんだけどなぁ…
と思って、その近辺に近づいてみたら、
「すみません… 今ロケ中なんで…」
と、通行をブロックされてしまいました。
「ぬわにぃ~! ここは天下の公道だどぉ~!」
ってな感じで言い返してもよかったのですが、僕も経験上、
テレビの撮影スタッフ ( AD ) くんの気持ちはよ~く分かるので、
ここは素直に従ってあげました。( 笑 )
ま、こっちも大したことやってるわけじゃないんで、お互い様ですね。
ということで、少し離れてロケ隊に万歩計を向けて、( 笑 )
第16散策ポイント 「堀田備中守 -ほったびっちゅうのかみ-」
歩数 「20798」 時間 「14:04」
ふう。
やったー! 終わったー!
なんか最後にちょっとしたハプニング ( ? ) がありましたが、
とりあえず無事に、本企画 「江戸歴史散策2」 が終了しました~。
皆様、ご拝読、ありがとうございます!
いや~、それにしても、
やっぱこの企画は、やってて楽しいわ~。
「え!? こんなところにこんな物が!」
とか
「ほぉ~、ここにこんなエピソードが。」
ってな感じで、本当にやりがいがあります。
また今度、どっかの地区の散策をしたいと思いますので、
その際は、その際は、またお付き合いくださいね。
それでは、次回もまた、よろしくお願いしま~す!!