そして次は、ここ ( 玄冶店 ) からずぅ~っと東に移動。
清洲橋通りに出て、
江戸時代の国学者「賀茂真淵」の隠居跡碑
を通過して、少し歩いたところが…
第13散策ポイント 「佐藤捨蔵 -さとうすてぞう-」
歩数 「17372」 時間 「13:19」
です。
「佐藤捨蔵」とは、
江戸後期の儒学者・佐藤一斎。
林家の塾頭となり、後、昌平坂学問書の儒官も勤めた。
門弟三千人ともいわれる。佐久間象山、渡辺崋山も一斎に学んだ。
とのこと。
ふ~ん。
知らないなぁ、佐藤一斎 。
っていうか、「捨蔵」ってなんだ?
どっからきたんだ、「捨蔵」は。
・・・
まあ、いっか。
そんなに興味ないし。( 笑 )
ちなみに、マップにある「佐藤捨蔵」の近辺は、
こんな感じ。
周辺散策してみましたが、モニュメントとかもありませんでした。
「捨蔵より、さっき見た“賀茂真淵”の方が有名なんじゃないかなぁ。」
なんて思いつつ、次の散策ポイントを見てみると…
「山伏井戸 -やまぶしいど-」
江戸中期の国学者で歌人の賀茂真淵がこの辺りに住んでいた。
真淵は細田家の土地を借りて居を構え、「縣居 ( あがたい ) 」の屋号を用いていた。
住居跡は都旧跡。
と、見事に「賀茂真淵」が登場してました。
ただ、地図が示す「山伏井戸」と
「賀茂真淵住居跡」のモニュメントがある場所がずれてる。
いや、ご覧頂いたように、
厳密にはキッチリ2ヵ所記載されてる。
これは…
さっき訪問した「按針町」みたいなものかな?
要は、住居跡と地区名が別々ってやつ。
ちょっと気になるから、住居跡に戻ってモニュメントを見てみよう。
おや、ちょっと待てよ?
な・ん・だ・と?
じゃあ、なんでこんな所にモニュメントを置くんだよ!
とかなんとかブツブツ言いながらも、
たぶん山伏井戸だろうと思われる地区にやってきました。
え~と、一応、近辺をうろついてみましたが、
モニュメントとかはありませんでした。
そりゃそうですよね。
だって、ここから離れた所にモニュメントあったもん。
ということで、ここには何もないですが、とりあえず万歩計。
第14散策ポイント 「山伏井戸 -やまぶしいど-」
歩数 「18007」 時間 「13:27」
なんかちょっと、騙されてるような気分です…